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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/27(Wed) -
厳冬の1月、白川郷に向かう4

静けさの中じっと雪の中にたたずむ白川郷萩町の家々。
深深と今にも白い妖精が舞い降りそうな静けさの中、幻想的に灯りがともる。

あの家この家どこの家も暖かそうな和紙を透かし囲炉裏を囲む家の様子まで伝わりそうだ。
ここ白川郷は自然遺産に指定されている。このままこの幻想的で静けさの中にたたずむ。
そしてまたひとつ窓に灯りがともる、家族の笑い声も聞こえてきそうだ。

時が過ぎ時間は流れる・・・白川の夜は深々と耽ていく。



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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/27(Wed) -
厳冬の1月、白川郷に向かう3


雪降る中、和田家に向かう。この日はライトアップということもあって
和田家の撮影ポイントはもうカメラマンでいっぱいです。
点灯までまだ4時間もあるのに・・・。
私は他を見ることにしたがこの雪の中あまりウロウロはできない
だんだんと気温も下がってくる。  (つづく)


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和田家は天正元年(1573年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。
和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。

往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。
またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。
和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定された。
現在も住居として使われている。


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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/26(Tue) -
厳冬の1月、白川郷に向かう2

止まない雪はその激しさを増している。自然環境の厳しさがこれほどまでだと思わなかった。
このつららが物語っている。高速は降りたけどこれからが大変です。


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萩町合掌造り集落の駐車場になんとかたどり着いた。ここから「出会い橋」という吊橋を渡って集落へ行く。
雪で滑りそうなので気が抜けない。橋を渡るとすぐ左に神社がある。鳥居をくぐると萩町なんだけど
鳥居が雪で埋まりそうです。これから萩町へ入ります・・・・(つづく)


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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/26(Tue) -
厳冬の1月、白川郷に向かう

百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
白川郷(しらかわごう)は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区に選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。


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生憎のお天気、美濃あたりから雪が降り出した。
郡上八幡のあたり、かなり積もりだした、車ものろのろ状態になりました。
雪は降り止まず益々ひどくなる。荘川あたりでは、道路が見えなくなった。
これはかなりの雪です。走る車も少なくなってきた。

見所も多いところだがこんな天気で大丈夫だろうか・・・(つづく)

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四間道界隈・・
- 2008/09/07(Sun) -
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名古屋駅の近く国際センタービルの側を流れる堀川沿いに古い町並み、四間道(しけみち)がある。
名古屋城の築城は慶長15年(1610年)に始まるが、それまで尾張の中心は清洲であった。
築城後、武士・町人・寺社などが町ぐるみで移動した。これが「清洲越し」である。
熱田の湊と名古屋城を結ぶ堀川には、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ねて繁栄してきた。
堀川は、豊臣恩顧の福島正則を中心に20の大名が普請を命じられた。商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られた。
四間道は1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失した。尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるため、堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張した。
今でもその面影が残っている。

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そして、その路地の奥に祀られているのが子守地蔵尊です。このお地蔵さんはもともとここにあったわけではありません。1858(安政5)年頃、井戸水をくみ上げるため現在のお堂の20メートルほど南、今のマンホールの少し北側に井戸を掘っていたところ、地中から30センチほどのお地蔵さまが出てきたのです。お地蔵さまには1710(宝永7)年という刻銘があり、発見より150年も前に作られたことになります。かつて、庄内川が氾濫して洪水となったときに上流からこの地に流れてきて埋もれてしまったと推測されています。

 たった30センチのお地蔵さまが、たまたま掘った場所から出てきたのは、お地蔵さまにあった、ここを掘って祀って欲しいという意志がそうさせたのだと信じられており、1895(M28)年には現在の御堂が建設され今も大切にされています

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屋根神さまは名古屋独特なもので、幕末頃から祀られるようになったものです。ほとんどは三神が祀られています。津島神社、秋葉神社、熱田神宮が多く、なかには伊勢神宮や国府宮を祀っているものもあります。当初は疾病流行の恐怖から身を守るために天王信仰が起こり津島神社のみが祀られ、続いてこの地にあった大火から、火ぶせ(防)の神である秋葉神社が、さらに明治時代に入り日清・日露戦争への出征兵士の無事を祈って熱田神宮を祀るようになったそうです。

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その一角に築150年の蔵を改築したレストラン&バー「右近」がある。創作和食料理を味わいながら
心なごむあたたかなひと時が楽しめる。

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当時の建物そのままで営業している喫茶店「sara」で休憩するのもいいでしょう。
コーヒーについてくる一口サイズのケーキは最高に美味しい。

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こんなお店もありました。中には素敵なガラス製品がいっぱいです。
つい買ってしまいそう、そんな気にさせる楽しいお店です。

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