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自然が創り出す美しさ・・・それは芸術
- 2010/01/29(Fri) -
どことなく優しく
どことなく艶やか
まるで、女性の肌を思わせる姿は雪原であることを忘れてしまう・・・


自然は不思議、名もなきアーティストだ
素晴らしい芸術に言葉はいらない


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氷の世界・・・厳しい自然の中で
- 2010/01/28(Thu) -
道路沿いのなにげないせせらぎ、冬でなければ普通の川の流れ。
それが厳しい自然環境でこんなアートを創りあげる


夜明けにみる色はどんな色
凍りつく大地に静かに舞い降りてくる妖精たち
ささやきが聞こえるよ

そっと肩を抱いて一緒に歩いていこうよ
どこまでも どこまでも


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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/27(Wed) -
厳冬の1月、白川郷に向かう4

静けさの中じっと雪の中にたたずむ白川郷萩町の家々。
深深と今にも白い妖精が舞い降りそうな静けさの中、幻想的に灯りがともる。

あの家この家どこの家も暖かそうな和紙を透かし囲炉裏を囲む家の様子まで伝わりそうだ。
ここ白川郷は自然遺産に指定されている。このままこの幻想的で静けさの中にたたずむ。
そしてまたひとつ窓に灯りがともる、家族の笑い声も聞こえてきそうだ。

時が過ぎ時間は流れる・・・白川の夜は深々と耽ていく。



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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/27(Wed) -
厳冬の1月、白川郷に向かう3


雪降る中、和田家に向かう。この日はライトアップということもあって
和田家の撮影ポイントはもうカメラマンでいっぱいです。
点灯までまだ4時間もあるのに・・・。
私は他を見ることにしたがこの雪の中あまりウロウロはできない
だんだんと気温も下がってくる。  (つづく)


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和田家は天正元年(1573年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。
和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。

往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。
またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。
和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定された。
現在も住居として使われている。


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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/26(Tue) -
厳冬の1月、白川郷に向かう2

止まない雪はその激しさを増している。自然環境の厳しさがこれほどまでだと思わなかった。
このつららが物語っている。高速は降りたけどこれからが大変です。


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萩町合掌造り集落の駐車場になんとかたどり着いた。ここから「出会い橋」という吊橋を渡って集落へ行く。
雪で滑りそうなので気が抜けない。橋を渡るとすぐ左に神社がある。鳥居をくぐると萩町なんだけど
鳥居が雪で埋まりそうです。これから萩町へ入ります・・・・(つづく)


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雪の白川郷合掌造り集落・・・世界遺産
- 2010/01/26(Tue) -
厳冬の1月、白川郷に向かう

百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
白川郷(しらかわごう)は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区に選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。


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生憎のお天気、美濃あたりから雪が降り出した。
郡上八幡のあたり、かなり積もりだした、車ものろのろ状態になりました。
雪は降り止まず益々ひどくなる。荘川あたりでは、道路が見えなくなった。
これはかなりの雪です。走る車も少なくなってきた。

見所も多いところだがこんな天気で大丈夫だろうか・・・(つづく)

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夜明け・・・空が燃える2
- 2010/01/25(Mon) -
こんな朝焼けが見れた
早起きは三文の徳・・よく言ったものでやっぱりいいことがあった


朝で思い出したが先日の国会答弁で「朝三暮四]と[朝令暮改]のことばが出ていました
みなさんはご存知ですよね、このふたつのことばの意味を。


【朝三暮四】
目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。

【朝令暮改】
朝に出した命令を夕方にはもう改めること。方針などが絶えず変わって定まらないこと。

四文字熟語が出たついでに
朝蝿暮蚊(ちょうようぼぶん)
つまらない人間が集まってきて困ることのたとえ。
朝には蠅が、夕暮れには蚊が飛び集まり、こうるさくてかなわないが、さりとておっぱらうこともできないことから。

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夜明け・・・空が燃える
- 2010/01/24(Sun) -
真っ赤な炎が空を焦がす・・・

いつものようにスタンバイして東の空を眺めていたら空と屋根の境界線が突然赤く輝きはじめました。
すると下のほうから赤い炎がみるみる上に広がっていく・・すると雲が燃えているよう

あまりの燃え方に呆然と見ていました。ここまで燃えると気味が悪くなってきます
でも、このショーも一瞬の出来事・・・
まるで潮が引くように赤い色が薄れ、日常の風景に戻っていきました・・・・


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夜明け・・・都会の中の優しい色4
- 2010/01/24(Sun) -
夜明け前,空を見ると東の空に雲がいい感じで出ている。
この雲がポイントなんです。さあ、カメラを構えましょう・・・


こんな空に出会うこともある。この日はポイントに行くのが送れて・・・・
焼けだすとあっとゆうまです。とにかくあせってシャッターを押しましたが
電線や電柱など、余計なものが入ってしまいました。
やはり余裕をもって撮影に望まないといけませんね
反省でした。


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夜明け・・・都会の中の優しい色3
- 2010/01/23(Sat) -
夜明け前,空を見ると東の空に雲がいい感じで出ている。
この雲がポイントなんです。さあ、カメラを構えましょう・・・


日の出が近づくにつれて雲が流れ、高い雲だけになった。
こうゆう雲が最高です。


朝陽の場合は顔を出すまでが勝負です。顔を覗かせるまで刻々と空が変化しますので
素早く構図を決めて撮り続けましょう。

ピントは∞でできるだけ絞り込んで撮れば手前も奥もクリアーに撮れます


撮影場所は決めておいて定点観測するのが一番いいと思います。
この写真は近所で撮影したものです。毎朝、夜明け前の空を見ると今日はいいか、悪いかわかってきますよ。
太陽が出る位置は季節によって違います。毎回行ってチェックしましょう
撮影ポイントの状況を把握するのも必要です


いつも素敵な朝焼けに出会えるなんてことはありません。お天気の悪い日もあるし
自然が相手ですから臨機応変に狙いを変えたりすることも大事でしょう。


諦めず、根気よく、この精神で挑戦しましょう

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夜明け・・・都会の中の優しい色2
- 2010/01/23(Sat) -
夜明け前から空を見ると東の空に雲がいい感じで出ている。
この雲がポイントなんです。さあ、カメラを構えましょう・・・


地平線が色づいてくると黒かった雲が輝き出しました。
ここからが撮影のチャンスです


露出は自動でいいだろうか?

基本的には自動露出でいいでしょう。しかし、アングルによっては露出オーバーになり
赤い色が上手く出せないで仕上がることがある


普通の風景と違い日の出や夕陽は明度差が大きいので、アングルによって仕上がり方が
大きく変ります。



お勧めの撮影方法は露出を0.3や0.5ずらして3枚づつ撮りましょう
やや、アンダー気味に撮ったほうがいい色に仕上がると思います。


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夜明け・・・都会の中の優しい色
- 2010/01/23(Sat) -
空は突然思いがけない表情を見せる・・・

お日様と雲がかくれんぼ
雲の隙間から噴出すように光が現れた
でも、ほんの一瞬の出来事・・・またお日様は雲の中へ


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夜明け前・・空が白み始める
そこから撮影準備しなければいけない・・・夕陽と違って朝陽はどんな輝きをするのか予想がつかない
夜明け前、空の高い所に雲があれば赤く染まる可能性は高い

雲がなければ手前の建物や木々をシルエットにするといい
夜明けの撮影は朝陽が昇るまでが勝負です。顔を出すまでに空がどれだけ輝くか・・・
これもそのときでしかわかりません
でたとこ勝負ですから、何度でも挑戦してください


根気よく粘ることが大切です

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街の灯り・・・都会の中の優しい色
- 2010/01/22(Fri) -
黄昏時の街・・・そこには必ず灯りがある

夜の帳が降りる頃、街には優しい灯りが灯りだす
昼とは違う顔がある
人は灯りを求めてやってくる・・・

仕事帰り、今日一日のうさを晴らしにくる人・・・同僚と会社の愚痴を言い合いながら大声で騒いでいる
こんなお酒は飲みたくないがサラリーマンはこれがないとストレスがたまるから仕方ないかな

淋しい酒、悲しい酒、これもよくないよね・・・こんなときお酒に逃げちゃだめですよ
お酒は楽しく飲まなきゃね・・・


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黄昏と街の灯りを撮る・・・・

黄昏時の街を撮影するときは、手ぶれに注意してください。
街中で三脚を立てると通行の妨げになるので、使用するときは気をつけて。

ストロボはオフで撮影してください。被写体の灯りだけで撮ったほうが写真としては生きてきます
自然の光が残る黄昏時は空の暮れゆく色と街の人工光を上手くバランスをとって撮るといいでしょう

川に写る空とネオン、いい構図だと思います


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夕焼けを上手に撮るには2・・・
- 2010/01/21(Thu) -
私は夕陽撮影に三脚はあまり使用しない
刻々と変化する夕景にフットワークが悪くなる
いろんな構図で撮りたいからです


①レンズは18-250クラスのズームがベストでしょう
 広角から望遠まで素早くフレーミングが選べるからです

②AFで撮るよりむしろMFで距離は∞、そのほうが素早く撮影できる
 AFだとオートズームが働いてピントあわせに時間がかかります

③写真の位置は横位置がいいと思っている人がいるがそれは自由です
 どんどん縦位置で挑戦してみてください 高さがあって意外といい場合がありますよ

④太陽を入れる場合は画面真ん中にいれず上下左右いろんなフレーミングで試してください
 いろんな画面構成を考えることが大切です

⑤構図は空だけ入れるんではなくビルや街灯や木々をシルエットにしたら面白い写真になるでしょう



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夕焼けを上手に撮るには1・・・
- 2010/01/20(Wed) -
いいなって思ったらもうシャッターを切っている
いつでもカメラで撮影できる状態でないといい夕景は撮れない
日頃からすぐ撮影する気持ちを持つことが大切です



夕陽の撮影はあきらめてはダメです。完全に暗くなるまで見ていることが必要なんです
日が落ちても残照でしばらくは雲が輝いたり空の色が想像以上に変化したり
思いがけないドラマを見ることがあります

それといい場面を待たずにどんどんシャッターを切ることです
同じようでもどんどん変化していくのでチャンスを逃してしまう


① 補正はマイナス0.5でその前後3枚くらい撮っておいたほうがいいでしょう
太陽相手なのでアンダー気味いいと思います

② 構図もできるだけ空だけではなくそこにあるものを入れた方がいい場合があります
普段は邪魔な鉄塔や高圧線も遠近感がでていいこともありますから。


これからもまた、夕景の撮り方について気が付いたことを書いて行きたいと思います
楽しみにしていてください


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心に残る風景7・・・燃える想い
- 2010/01/20(Wed) -
燃えながら沈みゆく夕陽・・・・

森をのみ込んでいく・・そして鉄塔も
すべてをのみこみながら沈んでいく


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心に残る風景6・・・燃える想い
- 2010/01/19(Tue) -
残照・・・そこにドラマがある・・

輝きながら沈む夕陽・・・
しかし、そのあとに夕焼け劇場の幕があく
残照に輝く空は一瞬の出来事
余韻を残しながら幕は下りる・・・


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心に残る風景5・・・燃える想い
- 2010/01/19(Tue) -
空が燃える2・・・そして

燃え盛る空が黒い闇に飲み込まれようとしている・・・
必死で抵抗する炎も次第にその勢いを失っていく

闇に飲み込まれる瞬間、赤い炎は一瞬激しく輝いた・・・
まるで赤い龍が最期の力を振り絞って力尽き
横たわっているようにみえた
鉄塔だけがそれを見ていた・・・


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心に残る風景4・・・燃える想い
- 2010/01/18(Mon) -
空が燃える・・・

日頃は邪魔者扱いされる鉄塔も、この日は主役
奥行きを表現してくれる

しかし、この空の色はどうだろう
何十年と空を見続けているが、こんな景色に出会うのは
幸運と言うほかないでしょう


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心に残る風景3・・・燃える想い
- 2010/01/18(Mon) -
空が燃える・・・

騒ぐ雲、雲を焦がしながら沈む夕日
姿を隠してもなを、その存在感を示す・・・

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心に残る風景2・・・燃える想い
- 2010/01/17(Sun) -
空が燃える予感・・・

西の空に雲がたくさんあると、素晴らしい夕焼けの期待がふくらむ
空は気まぐれだ。機嫌がいいのか悪いのか分からない

いいと思ったら急に真っ暗になって沈んでしまう
ダメかなぁって諦めかけたら真っ赤に燃える時もある

空は気まぐれ・・・


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心に残る風景・・・燃える想い
- 2010/01/17(Sun) -
空が燃えている・・・・・

落日はドラマチックだ
日が落ちてあきらめていたら、突然空が燃えた
一瞬の出来事だった・・・


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江戸時代にタイムスリップ・・「酢の里」
- 2010/01/16(Sat) -
博物館「酢の里」は不思議な空間・・・

運河沿いに建ち並ぶ黒い建物・・異様な佇まいです。
電柱もなければ電線もない・・・創業当時のままの姿がそこにあった。

ミツカン本社隣にある博物館「酢の里」 (愛知県半田市)
創業1804年(文化元年) 酒粕酢醸造に成功した初代中野又左衛門が分家独立。造り酒屋が酢を造る。
それは、勇気ある挑戦でした。


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酢を使う料理といえば、なんといってもおすし。造り酒屋だったミツカンの初代中野又左衛門は、文化元年(1804)、酒粕を利用した粕酢造りに挑み始めました。酒造家が酢を造るなど、江戸時代には考えられないこと。酒桶に酢酸菌が入ると、お酒が全部「酢」になってしまうからです。
けれど、又左衛門の大胆なチャレンジは見事に成功。すっかり評判となった粕酢を、又左衛門は江戸で販売しようと考えます。そのきっかけは、又左衛門の耳に飛び込んできた、「江戸では最近『早ずし』が人気を呼んでいる」という噂でした。


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早ずしとは、ネタと酢飯を握る、今の握りずしの原型のこと。江戸の町で又左衛門は、噂どおり早ずしが江戸の人々に大受けしていること、そして使っている酢は当時まだ高価だった「米酢」であることを知ります。
「米酢を粕酢にすることができたら、もっとおいしくて手軽なすしがつくれるはずだ」
又左衛門は半田に戻り、積極的に江戸への売り込みを開始。すると、「粕酢の風味や旨みがすし飯に合う」と、江戸でも人気のすし屋がどんどん粕酢を使うようになります。江戸っ子のハートをつかんだ握りずしの大ブームとともに、又左衛門の粕酢は江戸前ずしに欠かせないものとなっていったのでした。ミツカンの酢とおすしの切っても切れない関係は、こんなに昔から始まっていたんですね。


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又左衛門は屋敷にこもり、新たな商標づくりに取り組みます。そして考えに考えた結果、ひらめいたのが、(三ッ環)の商標だったのです。又左衛門家の家紋は「三」。三文字の下に○をつけたのは「天下一円にあまねし」という易学上の理念を表します。

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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは8・・・
- 2010/01/16(Sat) -
上前津から大須通りを西へ、国道19号を渡ると堀川にかかる岩井橋にでる
川から荷物をあげた階段が残っている。今はごみが散乱しているのが残念です。

ここから200m南に下ると日置橋があります。

堀川は花見の名所として親しまれていました。
文化元年(1804)に、御普請奉行(ごふしんぶぎょう 工事をする役)の堀弥九郎という人が、
日置橋(ひおきばし)の南北の両岸、数百メートルに桃(もも)と桜の木を植えました。
文政5年(1822)ころになると、大きく育った木はみごとな花をさかせ、
たくさんの人がお花見に集まるようになりました。


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絵は、「堀川花盛」という題の、うちわにかかれた花見の風景です。満開の花の下で、川岸につくられた桟敷では、
堀川を見おろしながら花を楽しんでいます。
川にはたくさんの船がうかび、泳いでいる人もいます。橋のてすりに寄りかかって、川と花をながめている人もいます。
道ばたの店や屋台では食べ物を売っており、道におかれた長いすで食べながらひとやすみしている人もいます。
このはなやかな風景も、木が老木となってかれていき、明治のころには見られなくなったようです

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堀川・・・熱田の杜がその終着地
- 2010/01/15(Fri) -
賑わった熱田宿(宮の宿)・・・

伝馬町と神戸町がまじわる熱田宿の中心地。神社は、東海道を行く人の守り神といわれ
江戸へ、宮の渡しから桑名へ、そして伊勢へ京都へ・・・
かごや馬に乗る人、荷物を運ぶ人、たくさんの人でにぎわっていたことでしょう。 


本宮
熱田の杜、奥深く鎮まります本宮は、明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、
三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。

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信長塀
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、
そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、
兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。

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大楠
弘法大師のお手植えと伝えられ、境内には楠が多く、特に巨大なものがあったので、俗に七本楠と言われております。
手水舎北側にあり、樹齢は約千年になります。

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二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)
尾張名所図会や名古屋甚句で名高く、板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、
名古屋では最古の石橋といわれております。


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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは7・・・
- 2010/01/15(Fri) -
堀川の終点がここ、「七里の渡し」です

熱田から桑名(三重県)までは、東海道でただ一か所の、海のうえを船で行く「宮の渡し」です。約7里(28キロメートル)あったので、「七里の渡し」ともよばれました。
 
船は午前6時から午後6時まで運航しており、船着場にある船会所で手続きをしてから乗りました。75せきの渡し船があり、なかには40人以上乗れる大きなものもあったそうです。熱田の海岸は浅いので、干潮(かんちょう)の時には大きな渡し船は岸につけられず、小船で岸からはなれた沖にいる渡し船まで行って乗りかえました。
 
そのときの天気や、海が満潮で水深が深いときと、干潮で浅い時では、船がとおるコースが変わりました。このため、船に乗っている時間も2時間から6時間とさまざまで、ふつうは3時間くらいで行けました。
 
船着場には、船の目印にするための「常夜灯」があり、蔵福寺では「時の鐘」をついて時間を知らせていました。


常夜灯の向こうにまだまだ堀川が続いていますが、江戸時代はここから先は海でした。
今では埋め立てが進んで開発され港区の名古屋港や南区の工場地区になっています。


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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは6・・・
- 2010/01/14(Thu) -
賑わった熱田宿(宮の宿)・・・

江戸時代には、政治の中心であった江戸(東京)から地方への交通の便利が良いように、五つの街道が整備されていました。東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道がそれです。そのなかでも、東海道は江戸と京都を結ぶ、日本で一番通る人が多い重要な街道でした。
 
慶長6年(1601)には、旅人がとまったり荷物の運送などを行う「宿場」が決められ、街道の整備がすすめられていきました。道には日差しをやわらげるため松の木が植えてあり、旅人がどれだけ歩いたのかわかるように、1里(4キロメートル)ごとに、榎(えのき)などの木を植えた「一里塚」がつくってありました。
 
名古屋市内の東海道は、鳴海(緑区)から笠寺(南区)をとおり、熱田に着き、熱田からは、「宮の渡し(みやのわたし)」とよばれる、船で桑名(三重県)へ行くコースでした。波が高くて船が出ないときや、船がきらいな人は、熱田から佐屋街道をとおって桑名に向かいました。また、美濃街道をとおって中山道にでることもでき、熱田は交通の中心地でした。
 
仕事や伊勢神宮へのお参りなどでたくさんの人が行き来し、大名も150家が江戸に行くときに東海道をとおることが決められていました。また、朝鮮から来た朝鮮通信使も、美濃街道で熱田まで来て東海道で江戸に向かいました。
熱田はいつも旅人でにぎわっていました。


向こうにみえる森が熱田神宮です。この道(国道19号)を直進すると名古屋城に行きます。手前に行くと宮の渡し公園があり「七里の渡し」があります。左右は国道1号線右が東京方面で、国道19号の左側に堀川がありますよ     明日に続く・・・

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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは5・・・
- 2010/01/14(Thu) -
慶長8年(1603)に、徳川幕府ができて、豊臣の勢力が残っていなければ名古屋にお城ができなかっただろうし
堀川の存在もなかったかもしれない。徳川家康が清洲から今の名古屋に中心を移す必要もなかったであろう。


堀川の開削に尽力をつくしたのは普請総奉行の福島正則だった。

彼は秀吉につかえ、天正11年(1583)に秀吉と柴田勝家が戦った「賎ヶ岳の戦い」に参加して大きなてがらをあげ、
加藤清正などとともに「七本槍」の一人に数えられた。
朝鮮出兵にも参加し、文禄4年(1595)に清洲(24万石)の領主になる。

そんな秀吉に仕えていた彼も関が原の戦いでは東軍(徳川家康方)に参加し、その功績で慶長5年(1600)に
広島(49万8千石)の藩主(はんしゅ)になる。

この広島藩主だった時に家康から命ぜられて堀川をつくりました。

しかし、所詮は外様大名。許可を受けずに広島城の修理を行ったことを口実にして、元和5年(1619)信州(長野県)の川中島(4万5千石)の藩主にかえられ、寛永元年(1624)に64才でなくなった


錦橋の南にあり広小路に架けられている納屋橋のらんかんには福島正則の家紋が残されている・・・

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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは5・・・
- 2010/01/13(Wed) -
堀川沿いには散策路が所々にある

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レストランがあったり、画廊があったり・・・
春は桜が満開になる・・・
そんな景色を見ながら堀川の歴史に浸るのもいいでしょう
新しい堀川が見つかるかもしれませんよ
そんな堀川は名古屋の誕生と深いかかわりがあるのです
さぁ、暖かくなったら早速歩いてみましょう


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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは4・・・
- 2010/01/13(Wed) -
中橋からさらに下ると桜通りにかかる桜橋がありすぐ隣に伝馬橋がある

伝馬橋は清洲の五条川にかけられていた橋を名古屋に運んできたと伝えられている
昔、この橋は美濃街道がとおり、堀川で一番にぎわっていた橋でした。
美濃街道は東海道と中山道を結ぶ街道で、熱田から名古屋を経て垂井(たるい、岐阜県)までつづき、
江戸幕府の道中奉行が管理していました。
自分の領地と江戸を行き来する大名行列はもちろん、将軍がかわるごとに朝鮮から来た通信使や、
将軍に差し上げるお茶を運んだお茶壺道中もこの橋をわたって行きました。
昔の本には「身分の高い人や低い人がたえまなくとおり、にぎやかな所である」と書かれています。


今の国際センタービルの交差点から東南に斜めに入ると伝馬橋があります。橋を渡り伝馬橋東の信号を
直進すると伝馬通りです。久屋大通を過ぎると道は東南に斜めになります。東新町を横切り広小路葵の交差点から
飯田街道につながります。今の国道153号、江戸時代にはこの街道は行き交う人で賑やかだったのでしょう。


堀川にかかる小さな橋、伝馬橋はこんな歴史をもっているんですね。

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伝馬橋は桜通にかかる桜橋と錦通にかかる錦橋の間にあります。

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