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堀川・・・汚れた姿に隠された華やかな舞台とは5・・・
- 2010/01/14(Thu) -
慶長8年(1603)に、徳川幕府ができて、豊臣の勢力が残っていなければ名古屋にお城ができなかっただろうし
堀川の存在もなかったかもしれない。徳川家康が清洲から今の名古屋に中心を移す必要もなかったであろう。


堀川の開削に尽力をつくしたのは普請総奉行の福島正則だった。

彼は秀吉につかえ、天正11年(1583)に秀吉と柴田勝家が戦った「賎ヶ岳の戦い」に参加して大きなてがらをあげ、
加藤清正などとともに「七本槍」の一人に数えられた。
朝鮮出兵にも参加し、文禄4年(1595)に清洲(24万石)の領主になる。

そんな秀吉に仕えていた彼も関が原の戦いでは東軍(徳川家康方)に参加し、その功績で慶長5年(1600)に
広島(49万8千石)の藩主(はんしゅ)になる。

この広島藩主だった時に家康から命ぜられて堀川をつくりました。

しかし、所詮は外様大名。許可を受けずに広島城の修理を行ったことを口実にして、元和5年(1619)信州(長野県)の川中島(4万5千石)の藩主にかえられ、寛永元年(1624)に64才でなくなった


錦橋の南にあり広小路に架けられている納屋橋のらんかんには福島正則の家紋が残されている・・・

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