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常滑やきもの散歩道2・・・焼き物の歴史がここにある
- 2010/02/02(Tue) -
「やきもの散歩道」を歩けば千年の歴史を肌で感じる。そんな世界がここにはある。

今回はソフトレンズで撮ってみた

常滑市は、名古屋市から南にのびる知多半島のなかほどの
伊勢湾(いせわん)に面した位置にある、
人口約5万2000人の街です。六古窯の一つとして、
平安時代後期からやきものづくりが盛んになりました。
知多半島の豊富な粘土資源や燃料を背景に、
発達したといわれています。


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その後常滑焼は、鎌倉時代初期までは宗教儀式の壺を
つくり、それ以後は、甕、壺、擂鉢などの日常雑器の
生産が主体となっていきました。
そして、海運を通じて青森から種子島まで、
広大な商圏を獲得していきました。途中、山茶碗
などを生産していましたが、江戸時代の安政年間
(1854-60)から陶製便器の生産が始まります。

そして明治時代になって、朱泥(しゅでい)の急須や土管、
テラコッタ、タイルなどの建築陶器の生産が加わりました


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<朱泥焼(しゅでいやき)>
常滑で古くから焼かれ続けている壺やかめといった大器は、
急激な温度変化により表面と内部との間に温度差ができ、
亀裂やひずみが生じるため、徐熱徐冷でゆっくりと、
大型の常滑窯に適した酸化炎*を使って焼き上げる方法がとられてきました。

一般に鉄分を多く含む土は、耐火度が低く、焼物に適さないとされていますが、
朱泥焼は、常滑周辺で産出する鉄分を多く含んだ粘土を、
同じく酸化炎による徐熱徐冷の方法で釉を用いずに焼き上げ、
他の産地にはない独特の赤褐色の地色を出すことに成功しました。
仮に朱泥焼の素地を他産地の窯で焼いたとしても、小豆色にしかならないと言います。

朱泥焼は、粒子が細かいことに加え、焼成前に素地磨きを、
焼成後にはつや出し磨きを行うため、表面の感触が非常に滑らかです。
使い込む程につやが出て、味わいが増してくるという特徴をもっています。

*酸化炎(さんかえん)
十分な酸素を加えて、炭素分を燃焼し尽くした炎。

・急須
常滑焼の急須は大変機能に優れています。
注ぎ口は計算された大きさ、角度、先端の切り具合により、
お茶切れが良く、取っ手は注ぎ易いよう、バランス良く最適な角度につけられ、
フタは焼成後、急須本体に沿って擦り合わせ、微調整をしているので吸い付くようにピッタリします。

このフタ合わせの良さが、茶葉を充分に蒸らし、きめの細かい土がアクなどの不必要なものを吸着して、
お茶本来の味を引き出してくれます。装飾はシンプルなものが多く、
無地のものの他に、風格を添えるために漢詩や牡丹の花を彫ったものも多くみられます。


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